アーティスト 足立 智美 ADACHI TOMOMI

アーティスト 足立 智美 ADACHI TOMOMI

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ジョン・ケージ 「ミュージサーカス」芸術監督:足立智美

平成24年11月3日(土)15:00~17:00 ※雨天の場合、11月4日(日)12:00〜14:00に順延

このコンサートでは、演奏者やパフォーマーが各々「同時に」「様々な場所で」「独立して」演奏を展開します。みなさんは、その周りを自由に動きながら、さまざまな音楽が交じり合っていく状態を楽しむことが出来ます。いったん、音楽という枠組みを離れてみれば、世の中には様々な音が混じりあっています。その状況に積極的に参加し、体験してみましょう。自立した人々が中心を持つことなくお互いを受け入れていく、ケージの考えた音楽による社会モデルが展開されるでしょう。(足立智美)

足立智美(あだち・ともみ)

1972年生まれ。パフォーマー、作曲家。現代音楽の演奏や作曲、音響詩や即興音楽、サウンド・インスタレーションの制作、楽器の創作など幅広い領域で活動。坂田明、高橋悠治、一柳慧、五世常磐津文字兵衛、猫ひろしらと共演。2003年にダンサー・振付家の伊藤キムと、カンパニー即興合唱団『足立智美+輝く未来合唱団』を組織。2008年には、東京都写真美術館「映像をめぐる七夜」に出演。その他、テート・モダン、ポンピドゥー・センターなど世界各地で公演。

足立智美ホームページ http://www.adachitomomi.com/n/biography.html

ベルリンのいろいろ ー足立智美

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今、わたしはドイツのDAADという組織の招聘でベルリンに来ています。DAADというと奨学金の制度で知られていますが、私が来ているのはそれではなく、Berlin Kuenstler Programという、毎年世界中から20人ほどの美術家、作家、映画作家、作曲家を呼んでベルリンを拠点に自由に活動をさせるというプログラムです。応募して選考された人と、DAAD側から選考された人が混じっています(私は応募組です)。6ヶ月から1年の招聘期間中はベルリン市民の平均月収だとかが支給されアパートが半額程度の家賃で提供されます。基本的に普通に活動していればいいので、ベルリンを拠点にすること以外、何の義務もありません。ただ何らかの新しいプロジェクトをここで実現するのは前提で、そのための予算ももらえます。

 
改めて書いてみると、夢のような制度ですね。なぜこのようなものがあるかというと、ある都市に芸術家を集めることが、その場所の活性化につながるという前提が共有されているからでしょう。DAADは政府と大学をベースにした組織ですが、この芸術家のプログラムでは現在ドイツ人は対象外ですから、外国の芸術家を支援することが、その場所やその国の芸術の繁栄に繋がるというわけです。日本の状況に対してアピールするにはここまでで止めておいたほうがいいでしょうが、もうちょっと書きましょうか。

 

この制度は1963年に始まりましたが、ベルリンの壁ができた直後です。当時、ベルリンは社会主義に囲まれた資本主義陣営の孤塁だったわけです。そこに西側の資本で著名な芸術家を送り込むという政治的な意味は明らかでしょう。60-70年代にかけては例えば音楽ではジョン・ケージとかヤニス・クセナキス、ストラヴィンスキーなどそうそうたる名前がならんでいます。しかもわざわざ政治的に左寄りの人を選ぶ傾向があったようです。芸術が政治の駒として認識されていたということですね。

 

したがって壁の崩壊後は縮小傾向にあるのは間違いありません。今は勿論、資本主義対社会主義という構図はありませんが、政治的な意向が出身国の選択に働いている気もしないでもありません。国家が芸術を支援するということはいくら建前を作ってもニュートラルなことではありえません。あとは政治と芸術家の間の冷静な駆け引きの問題です。ご存知のようにヨーロッパでは芸術支援は削減の一途を辿っていますが、それでも金額だけでなく質を含めたら、日本とは比較の対象にならないというのが正直なところ。

 

 

DAADのせいかどうかは分かりませんが、それにしてもベルリンは芸術家の街です。芸術を志す人は20世紀前半はパリを目指し、後半はニューヨークを目指し、21世紀はベルリンの時代と表現する人もいるくらいです。私としては欧米主導のそのような状況が延々続かれても困ると感じますが、さまざまな国籍の芸術家で溢れかえる状況を見ると納得してしまいそうになります。面白いのはマーケットの存在しないベルリン自体は決して芸術家に仕事を提供しているわけではないということですね。安い物価と家賃で、日々制作やセッションに励み、その成果を持って格安の飛行機に乗り込み、ヨーロッパとアメリカの別の街で稼ぐという生活ですね。実際のところこの数年の格安航空会社の成功は大きな意味をもっているように思います。なら家賃が安ければどこでもいいのかというと、そうではありません。ここにいればすぐ近くから刺激を受けることができます。どんなことをやっても孤立しないということは大変重要なことです。

 

一昔前と違って今は芸術の方向性が多極化していますから、その多極化を支え、適度に交流をもたらすために、自転車でいける範囲に巨大かつ、さまざまなバックグラウンドを持つ芸術家コミュニティーが成立している必要があります。政治的な意図と、さまざまな偶然が重なって、ベルリンは世界で最もユニークな芸術環境を作り出しているのは間違いないと思います。ここまで書いてニューヨークと比べたくなりました。ニューヨークにもベルリンに匹敵するコミュニティーがありますが、物価が高く生活が逼迫しています。ベルリンにもあの緊張感を見習って欲しいと思うことがありますが、その逼迫とマーケットの力の強さで、目先の流行に流されすぎるきらいがあります。100年先を見越すような仕事はあそこでは難しいでしょう。

 
良くも悪くもベルリンは緊張感のない街です。ニューヨークやロンドンの街を歩くだけでちょっとヒリつくような(それでも昔に比べて緩くなったのでしょうが)あの感覚はここにはありません。このだらけた雰囲気はロンドンはちょっと別にして西ヨーロッパ全般に共通するものですが、この余裕が芸術を支えている点は見過ごせません。

 
よくドイツ人は勤勉で几帳面などといいますが、どこのどいつがそんな戯言をいい始めたのでしょう。ま、確かにイタリア人、スペイン人、フランス人に比べてはそうでしょうが、日本人の口からいう言葉ではありません。几帳面なのは待ち合わせ時間(確かにこれは正確)と休暇を取ることくらいではないでしょうか。郵便物は届かず、窓の修理には気の遠くなる時間(イタリアで3年かかるところ、ドイツでは3ヶ月なのでしょうけど、日本だったら30分です)がかかります。ただこののんびりさ加減が芸術という役に立つか立たないかすぐには分からないようものを成立させる余地を生んでいる気がします。

 

 

 

ベルリンでは特にノイケルンというエリアにアーティストが集中していて、合法/非合法のクラブが山のようにあります。例えば実験音楽や即興音楽といったマイナーなコンサートだけで普段は毎日3-6くらいあるでしょう。たぶんこの数は東京やニューヨークを抜いていると思います。驚くのはとにかく客の多いこと。非合法の場合、住所すら公開してないところも時々あるのですが、なんで客がぎっしりなんでしょう。
大きいのは入場料が安いことでしょうね。ドネーションから高くて8ユーロくらい。多くの場合、この入場料は出演者の手にそのまま渡ります。といっても金額としてはまったくたかが知れてますけれど。クラブ自体はドリンク販売でやっているわけですが、それも2-3ユーロですから、なんでなりたつのでしょうね。。。
もうひとつはやはり時間をふんだんに持っているということ。物価が安く、毎日同じ物を着ていても人の目が気にならず、その上社会保障が行き届いているという状態。その暮らしが社会の中に芸術を成立させているわけです。

 

 

 

といっても東京の状況を腐すつもりはまったくありません。実のところ東京は私の知る限り世界で一番平均クオリティーの高い芸術都市だと思います。社会への甘えがないので、まず気合の入り方が違います。でもわざわざ平均と書いたのは、突出した個人が出にくいのも事実だと思うからです。言い古された表現ですが、大勢が同じ方を向く傾向が強く、1人じゃ生き延びられない場所なんでしょうね。もうひとつ世界の中で(別に欧米という意味ではありません)孤立しているのも事実でしょう。ほとんど地理的、政治的な要因なのでどうにもならないのですが、個人レベルでは国境なんて軽々と超えられるのに、その上のレベルで作動する力はまだまだ鬱陶しい限りです。

 

欧米にもその責任の多くはあって、欧米のマーケットで認められるアジアの芸術家は所詮、欧米がアジアに求めるものを提供する者に限られます。でそのアジアのイメージは、まだ良くなってきたとはいえ、基本的には古式床しいオリエンタリズム。それを利用するとうそぶくことはできても、その欧米主導のシステムは微動だにしない。繰り返しますが個人レベルではそんなものなんでもないのに、大局的にはそのようなシステム、言葉のシステムが作動する場面があるわけです。そのことにアジアはもっと自覚的である必要があるし、ヨーロッパ人に諭されて日本の伝統文化を再発見するような阿呆にならずに、批評でアニメや禅がどうのなどと書かれてしまうような作品を作らずに、執拗に抵抗する必要があるでしょう。特に日本の場合、そんな素朴なオリエンタリズムを対象化する作業がまさにオリエンタルなものとして欧米のマーケットに受け入れられてきたという歴史があるように思います。なんとも厄介な問題ですが、避けて通るわけにはいかないし、いくら日本でそれを批判しても始まりません。

 

 

 

前回、書くといったので、テンペルホーフ空港跡地でのプロジェクトについて、ちょっとだけ書いておきましょう。最終的には20人の合唱(各自ヴヴゼラと自転車付き)、トロンボーン奏者4人、オペラ歌手1人、ヴォイス・パフォーマー1人に私の指揮という編成の《テンペルトーフ》というタイトルの作品になりました。足立市場のプロジェクトと圧倒的に違うのは、こちらはフラットな空間なので、問題になるのは距離だけだということです。500メートル先にいる合唱がどんな風に聞こえるかなんてやってみないと見当もつきません。だいたい人の形がちゃんと認識できるのは私の視力では500メートルくらいまででした。基本的には観客は同じ位置に留まり、演奏者の距離と方向が変化していきます。それにしても彼方から聞こえる叫び声というのは妙にロマンティックなものでしたね。
私は塔の上で旗を2本持って指揮をしました。

 

 

 

飛行場ぽくしたつもりで、私自身は意識していませんでしたがこの写真を思い出した人もいたみたいです。

 

 

これは1922年(この年号、間違いではありませんよ)にロシア革命5周年を記念して、アゼルバイジャンのバクー港周辺でおこなわれた《サイレンのためのシンフォニー》を塔の上で指揮する作曲者のArseny Avraamovです。合唱、汽笛、工場のサイレン、水上飛行機、機関車、砲兵隊という破格の編成です。意識的に近代の公共空間のために作られた、最初(で最大)の音楽作品でしょうか。旗で指示を出した後、ピストルでキューを出したようです。合唱部分はオリジナルではなく《ラ・マルセイエーズ》と《インターナショナル》を歌ったようです。この辺も《風に吹かれて》やワーグナーを使った私の作品と近いですね。それにしても録音があるわけでもなく、いくつかの資料が残るだけのこの作品、一体どんな音がしたのでしょうか。最終的には全市のサイレンが鳴ったという話。
それにしてもこういう歴史への参照がぱっとでてくるところがドイツなんですね。いっそのこと軍服でも着れば良かったか。あと東側出身の芸術関係者にはロシア・アヴァンギャルドに対する親近感があるようです。この辺もベルリンの面白いところ。

 

 

次回はようやくケージのミュージサーカスの話をします。

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