2016.8.25
【音まちかわら版】やるかやらないか、迷ったら「やる」を選択する[田中充](2016.08.25)
やるかやらないか、迷ったら「やる」を選択する[田中 充 たなか みつる]
高校、大学時代に友人とロックバンドを結成、音楽活動にのめり込む。2011年から、音まちのボランティアサポーター「ヤッチャイ隊」に参加。2014年から、音まちメンバーを中心に結成したチンドン隊「千住ちんどん」を率いる。飄々とした風情で、何事にも無関心を装いながら、熱い内面をもつ人。現在、平塚に住み、千住まで2時間をかけて通っている。
○音楽があれば違う世界に行けた
子ども時代、親父がすごく厳しかったんです。ずっと成績も良くて、不良にもなれず、はっちゃけることもできなくて、エネルギーを内に向けちゃうタイプだったのですが、音楽があれば違う世界に行けた。パンクやヘビメタなどマニアックな音楽が好きだったので、話が合う少数の友達と、狭く、深くつき合った高校、大学時代でした。ロック系のバンドを組み、楽器はエレキベースを担当していました。
卒業のとき、特にやりたいこともなく、何となく就職したのですが、2001年に結婚し妻が出産した。生後まもなく息子が入院したことがあって、病院に会いに行って顔を見たとき、この子のために頑張りたいと心から思ったんです。
若い頃は、サラリーマン的な生き方が嫌いでした。親父の生き方に反発していたのかもしれません。でも自分が父になったのを機にサラリーマンになり、親父と似ている自分に気づいた。親父も自分も、温和に見られるのですが、意外と気が短く頑固なこと、身近な人にはそれが出てしまうところなど。また、サラリーマンの仕事も、やってみると、想像に反してめちゃめちゃ自分に向いていた。今も働いている電気系の会社は、1万個に及ぶ部品を組み立てるのが仕事なので、情報を丁寧に整理して、段取りをして、数多くの下請け会社や人の動き方を組み立てていく。そういうことが自分は得意なんですね。段取りの悪さが目につくので少しずつ提案をしたりして、自分のポジションができてきた。役に立っているのもうれしくて、仕事にものめり込みました。
そんな2010年、離婚。しばらくは落ち込み、いろいろなことを考えた。家族を持った10年間、自分がやりたいこと、子どもの頃からやってきたことを抑圧して来たのかなと。それなら今、好きなこと、新しいこと、何でもやってみようと思ったんです。ライブに出かけるようになり、見渡してみると、離れている10年の間に音楽の世界も状況が変わっていて、すげえ面白い。新たにバンドを組む気もなかったのですが、大友良英(※1)さんが水戸芸術館で、アマチュア演奏者を集めてやっていた音の企画があって、その気軽さに惹かれて参加するようになっていきました。
そして、2011年。3.11を機に、福島生まれの大友さんが動き出し、またほぼ同じ時期、大友さんの千住フライングオーケストラもスタートしていて、自分もそれらに加わっていったんです。千住に来たのは初めてでした。正確には、足立智美さんの「ぬぉ」(※2)に演奏者として参加したのが初・千住でしたけれど。いずれにしても人や企画に惹かれて来ただけで、場所はどこでも良かったんです。
○ヤッチャイ隊からチンドンへ
結婚していたときは新しい人と出会うこともなかったのですが、音楽を通していろんな出会いがあった。職場の仲間とはぜんぜん違って変な人が多くて(笑)面白いんです。とはいえ1つのことにどっぷり入り込むことは意識的に避けていたのですが、ちょっと顔を出したヤッチャイ隊の1周年パーティ@音う風屋(※3)が楽しかった。自分は人見知りなので初めての場にあまり入り込めないんだけど、このときは2次会まで行ったんです。自分が平塚から2時間かけて千住に来ていることが珍しがられて、当時事務局でヤッチャイ隊を担当し始めていた神谷さん(※4)が、会うたびに「今日も平塚からですかぁ?!」と声をかけてくれたりして、人間関係ができていって、ちょっと手伝うくらいならいいかなって、ヤッチャイ隊に入ったんですね。当時音まちは忙しくて人手も足りなくて、「僕やりますよ」って、街なかでのポスター貼りやイドラ(※5)の監視などを手伝いました。
給料もらってやっている仕事とは正反対に、ボランティアなので責任もないし利害関係もないけど、行けば喜ばれて、自分の「行きたい」という意志だけで、人との関係だけでする仕事は楽で、楽しかったです。
しばらくして、ヤッチャイ隊のヒアリングというのがありました。ヤッチャイ隊でやりたいこと、やれそうなことを聞かれて、「演奏できる人を集めてチンドンみたいなことをやったらどうですか?」って思いつきで言ったんです。
そのときはイメージだけでした。阪神大震災の後、中川敬がチンドン形式で街なかを演奏して歩いたり、いわゆる昔のチンドン屋さんじゃなくて、ポピュラーなミュージシャンがジャズやポップスをチンドンの形態をとりながら演奏したりしているのが音楽的に面白いなあって思っていたので、やってみたいなという気持ちがありました。チンドンっていうのは、鐘の「チンチン」と太鼓の「ドンドン」を組み合わせたもの。ストリートミュージックとしてとらえることで、古さの中に新しいものがある面白さを感じたのです。大友さんの「あまちゃん」も大きかったですね。あまちゃんでも結構、そういう音楽を取り入れてますよね。
でも、チンドンに憧れを持つ人は多いけど、チンドン太鼓は普通のルートでは手に入らない。自分は工作は全然得意ではないのだけど、同じヤッチャイ隊の小日山さんが何でも作ってしまうのを見ていて、作るのもありかなと思って作ってみた。作るにあたっては、本物のチンドン屋さんに作り方を聞きに行ったりもしました。できたチンドン太鼓を、大友さんの隅田川の企画のとき持っていったら、想像以上に合わせやすかった。それから自分がバンマス的に、みんなに声をかけたりして少しずつ、チンドン隊ができて行ったんです。
○大人の人間関係
今のチームでチンドンをやったのは、大巻伸嗣さんの「Memorial Rebirth千住2014太郎山」のとき(※6)が最初ですね。ヤッチャイ隊として何か宣伝やろうって話になって、願ったり叶ったりというか。「ヤッチャイ隊」って言葉通り、言われる前にやりたいことを勝手に「やっちゃう」感じで、やってみたら、めっちゃ面白かったんです! それまで音まちの宣伝をするときに1軒1軒お店を回ってお願いしたりして苦労して宣伝していたのですが、演奏しながらチラシを配ったらめっちゃハケルんですよ。つたない演奏なのに、みんな笑顔で振り返ってくれるし。
それまで演奏はしてもマニアックな曲ばかりで、人気のある曲をやったことがなかったのですが、あまちゃんなど、みんなが知ってる曲をやったらとても喜ばれて、もっとやりたい、やるべきだってことになって。その後も、音まちに限らず、出動するようになりました。
今のチームはだいたい10人くらいいますが、ときどき練習もします。それも楽しいんです。ちょっと変わった場所がみんな好きで(笑)、北千住駅東口の花絵ってカラオケボックスはよく行きます。おばちゃんがお菓子やおにぎり出してくれたりするアットホームなカラオケで(笑)。
今、チンドンのメンバーの関係がすごくいい感じなんです。音まちの人もいるし、音まちに関係ない人もいて、バランスよく集まっている。みんなチンドンがすごく面白くて集中してるんだけど、みんなそれぞれ他の世界も持っていて、このチンドンだけがすべてではないとも思っている。そういうことがわかっている大人の関係なので、すごく過ごしやすい。
人間関係ができてきて、このところ、思いとは裏腹に、ちょっとどっぷりかかわるようになってきたと思います。
○動かなければ何も起こらない
チンドンだったり、練習だったり、たこテラス(※7)の当番だったり、なんだかんだで毎週千住に来るようになって。葛藤もあるんですけど、何か選択肢があったとき、やるかやらないかといえば、できるのなら僕は「やる」ほうを選択します。やりたい気持ちがあれば、行きたい気持ちがあれば、行けばそこで何かが起こる。行かないことには何も起こらないから、今はそれを大事にしています。何かを目指しているのではなくて、今は、転がっていくほうにあるものに期待をしている。音楽も一回やめていたけど、またやり始めて無理している部分もあるけど、少し無理しないとできないこともあるから。今はヤッチャイ隊に限らず活動全体が上がっていて、自分の中の濃度がヤバイ。ちょっとふっきれてる気がします。
そうやって、一歩前に、外に出ることによって出会いがあって、広がっていく可能性があって、流れに身を任せていることが面白い。今、すごく幸せな環境にいられるんです。
音まちは自分にとっては、2011年から2016年という短い間の、人生のきっかけのひとつでしかないのだけれど、人との出会いがたくさんあり、何かを変えるきっかけがたくさんあった。まず人間関係でつながりができ、それからチンドンがきっかけでもう一度演奏もするようになり、そのことでもっとつながりが強くなってきている。今までの自分の経験や人生ともつながってきている。
僕は地元ではないけど、音まちのやることはいつも気になっていて、音楽とまちとの関わりには興味がある。ライブハウスのようなハコの中のコミュニティじゃないところでの音楽のあり方っていうか。音楽を演奏する人間は、場所は別にどこでもいいんですよ。たとえば老舗のクラブでも演奏する人も、ずっとそこで演奏しているわけじゃない。ミュージシャンって、いろんな場所で演奏するし、常に動いていくものだと思う。移動しながら演奏することは、音楽の持つ自然な性質みたいなものなんじゃないかと思うと、チンドンは、そういう音楽の自然な姿のひとつかなと思ったりします。
ものごとにはタイミングってあると思うんです。平塚に住んでいますが、音まちを通して知り合った、今のパートナーの動き方によっては、そのうちこっち(千住)に来ちゃうかもと思ったり。でもそれじゃ、できすぎた話なので、それが到達点になっちゃうとまた違うことを始めたくなっちゃう気がするので、やはり流れに身を任せるのかな(笑)。
千住は、住んではいないけど、今は仮住まいくらいの感覚にはなっています。千住のまちに対して? 「愛」って先に言ってしまってもいいのかなって(笑)。
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※1.大友良英: 即興演奏家として世界各地で活動。また映画や、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の音楽等、数多くの映像作品の音楽を手がけ、その数は70作品を超える。音まち千住の縁では、2011年〜2015年まで「千住フライングオーケストラ」の監修を行う。http://aaa-senju.com/2014/otomo
※2.足立智美「ぬぉ」:2011年のイベント。 http://aaa-senju.com/2011/event
※3.音う風屋:2012年夏〜2016年夏まで開いていた音まちの拠点
※4.神谷さん:元・音まち千住の縁 事務局長
※5.イドラ: 2013年のイベント。http://aaa-senju.com/2012/2323/
※6.Memorial Rebirth千住2014太郎山: 2014年のイベント。http://aaa-senju.com/2014/ohmaki
※7.たこテラス:ヤッチャイ隊の有志が運営する空き家を活用したコミュニティスペース